メモ
どうやってログを格納するか迷っています。
6月30日 ブログはテキストサイトかどうか論争
きっとキリスト教ならば公会議もので、三位一体説とか生まれるに違いないなぁ、と思う、考えれば考える程頭が痛い議論なのですが、私の考えでは、html手打ちの選択肢も見えていて、それを選ばずにブログという形を選び出来たもので、かつ、自分のブログをテキストサイトだと言うのであれば、それはテキストサイトである、というもの。
テキストサイト、と言う言葉が曖昧すぎるのだけれど、テキストサイトは少なくともwebサイトの形式を表す言葉で間違いないと思っていて、ではテキストサイトをテキストサイトたらしめるものは、という点で「何らかのwebサービスを使わずにhtmlを手打ちで作ったサイトのことだ」と主張する人が居る中、「でもやってることが毎日の出来事を書き起こしているのであれば、ブログとどう違うのかわからなくね」ということになり、wikipediaのブログの項目をみてみると「ブログ(blog)は、狭義にはWorld Wide Web上のウェブページのURLとともに覚え書きや論評などを加えログ(記録)しているウェブサイトの一種である。「WebをLogする」という意味でWeblog(ウェブログ)と名付けられ、それが略されてBlog(ブログ)と呼ばれるようになった」とあり、テキストサイトとやっていること似ているっていうか、日本でのブログの流行の仕方はテキストサイトの後にお手軽に作れるブログが流行りだしたから、ブログはテキストサイトを継ぐものでもある、みたいな話になってきて、じゃあブログでよくね、って思うのだが、「違う、ブログには無いよさが、テキストサイトにはある」となるんだけれど、ここで言葉に詰まる、みたいな何かが私の頭のなかを渦巻き、天下分け目の戦いを永遠に繰り広げ、第三勢力のイラスト中止のものはテキストサイトかどうか等が出現して訳のわからぬことになり始めた。
どうしてわざわざもう一度テキストサイトという形式に拘ったのか、ということを考えた時に、ブログってテキストサイトのような面白さが無い、というのが大きい、と少なくとも私は思っていて、じゃあ何が面白くないのか、と考えると、ブログサービスという型に押し込められているからだ、という風な仮説を私は持っている。そこで、このテキストサイトとは何か、と考えた時に出てきたのが、ネットで自分の伝えたいことを自由に伝えているサイト、ということで、テキストサイトサイトをテキストサイトたらしめるものは、という質問に置き換えてみますと、「サイトの内容を伝える形式をしっかり考えて作ったかどうか」ということになる。ブログという形式を、自分が伝えたい内容はブログが最も適している、と考えた末に選んだのであれば、ブログでもテキストサイトなのではないかね、という考えです。
余談をすると、第三勢力、イラスト中心のテキストサイトはテキストサイトかどうか、ということは、テキストサイトの代表格、侍魂が代表格になるきっかけを作ったのは先行者で、先行者の面白かった所は文章もありき、しかし文章だけではなくgifアニメの力にも頼っており、文章だけがテキストサイトかと言われるとそうでは無いことはここからも読み取れると勝手に思っております。しかし、私が考えた、「サイトの内容を伝える形式をしっかり考えて作ったかどうか」という考え方は、例えばTwitterやpixivなんかもテキストサイトになり得るのであり、色々問題点は多い。
6月29日 空気の抜けた熊
コンクリートの上に照りつける太陽光。暑い。熱い。太陽よ滅びろ。と天候を呪いながら昼飯を探し求めて彷徨っていると、どうみても場違いな所にマンションを売り込む熊の着ぐるみが必死にビラを捌いている。着ぐるみの出来がどうも悪く、一般的に着ぐるみは全体的にふんわりとしていて、動きにくくも可愛いものであるものだが、その着ぐるみは全体的に空気の抜けた風船のようにヘナヘナとした顔部分と、茶色のバスタオルだかパジャマだかを全身に纏っているだけでは無いのか、と思うような体部分とで出来ており、それ故に動きやすいらしく結構素早く動いて非常に不気味であって、むしろ人を遠ざけているように見える。そんな様を遠くから眺めていると、頑張るだけでは世の中うまく渡れんのだなぁ、そういえば私のテキストサイトは頑張っているだけなのでは無いか、何も見えずに突っ走っているだけなのではないか、とか思って悲しくなっていたら、熊が寄ってきてチラシを渡して来たのでありがたくそれを頂戴する、と、ありがとうございます、との女性の声が、聞こえて、熊の中身が女性であることに驚く。「着ぐるみが喋っていいのか」とか思って驚いていたら、熊がテントの仲間に始めてチラシを渡せた、といったような感じで騒いでおり、なんとも微笑ましい。
思えば私のテキストサイトもこの熊のようなもので、文章を書く作業を怠けているがゆえに、読みづらく、その結果サイトを訪れても大半の方が逃げていくのだろう。しかしながら、着ぐるみの熊がその場でファスナーを開けて、中の人が出て来るシーンには出来る限り立ち会わせたく無いなぁ、と思うのは、周囲の子供の目を気にしているから等ではなく、不気味な熊の着ぐるみから人が出て来る様は不気味どころか狂気すら感じる光景になりそうというのと、役者が劇中で演じるのをやめた時のなんとも言えぬ物悲しさを感じるからであり、映画を見て泣いている時に「え、もしかして映画なんかで泣いてるの?阿呆なの?所詮こんなの人工物で、言うなれば泣かせる為に作ったものなんだよ?」みたいなことを言われたような気分になるからなのである。
で、昼ごはんを食べ終わって、先ほど熊が居た道を通って帰るも熊が居ない。どうしたのであろうか、って周りを見渡すと、自販機の横の影の部分で頭部分を取って休憩していて、その女性がとても美人だった。
6月28日 やっちまった
何をやっちまったのかということを申し上げますと、このサイトは「VIPでテキストサイトブームをまた引き起こそうぜwwwww」というスレッドをきっかけにして出来上がったサイトでありまして、他にもそのスレッドを元にテキストサイト作った人達が何人もいらっしゃるので、それぞれのサイトをレビュー、つまり感想をぶちまけよう、というスレッドがありまして、私は暇を見つけては素晴らしいサイト群の中から一つ選んで、いつもの如く、今書いているような感じの文章を書き散らしておりました所、そのスレッドを見ている他の方々から、「読みづらい文章を公共の場で見せびらかすのはやめたまえ」といった内容のご指摘を承りまして、私は深く反省し、謝罪を申し上げた後に、二度と読みづらい文章をそのスレッドに書き込まないことを約束した訳ですが、何故私がそんなヘマをやらかしたのか、といったことを考えてみるに、一つは私が文章を書くのが恐ろしく下手、というか怠けて文章を書いている、ということがありまして、どういうことかと言うと、自分の文章を確立出来ておらず、小学校だか中学校だかで習った「です」「ます」で統一するか、「だ」「である」で統一するか、どちらかにしましょう、といったことですらままならず、度々2つが混同した文章を作り上げてしまう訳でありますが、それがどうして起こるのかというと、後にも先にも推敲ということをせず、つまり思ったことをそのまま文章化していると、今までどうやって文章を組み立てて来たのかを忘れ、どこで区切れば良いかということすらもよくわからないことになってしまい、その結果こういう文章ができあがる、という訳です。文章的な工夫を何も考えずに書ける為、非常に書きやすいのです。これ。一度、論理的に破綻しても良いし、日本語の文法としても少々誤っても良い、と何度も念じながら文章を書いてみればわかりますが、タイプミスでもしない限りバックスペースボタンを押すことはなく、書くネタさえあればすらすら文章が出てきて、あっという間に長文が出来上がります。それととても直前に読んだ文章に影響されるのでお試しあれ。もう一つの理由には、スレッドの鋭いご指摘でやっと自覚しましたが、独りよがり、個性を押し出しに来ている、というのがありまして、どういうことかと申しますと、「他人が書いとらん文章をみんなの目に着く所に晒しあげて注目するように誘導してこましたろ」ってな感じの感情が全く無かったのか、といわれると、そんなことは無い、というか、今から考えて見るに大いにそういった感情が感じられ、それを指摘されるまで気づかずにのうのうと暮らしておりましたが、そこで晒しあげているのは愚図さであり、阿呆さであった訳でありまして、そういった、所謂「自分さえ良ければ他人のことは知ったものか」という感情を敏感に察知なさった方々が不快感を抱くのも当然のことでありまして、そういった点で私は阿呆でした、と反省するほかありません。本当に申し訳無く思っております。
後は余談。こういったものを蛇足とも呼ぶのですが、思ったことは書き散らしてしまうのが性分なので書かせて頂くのは、「~次第で」という表現が気持ち悪い、と感じる方がいらっしゃいまして、読みづらいというのは私も思うことがあるのですが、~次第で、という表現が気持ち悪いとは一体どういうことだろう、と思った次第で、「次第」という言葉の用法を調べてみた所、この場合は『物事の、そうなるに至った理由。わけ。事情。』を指すようなので、これからは「~わけで」「~という事情で」と書こうかな、とも思ったのですが、ここでこの文章で既に使っている「と思った次第で」という文章をこれらに置き換えてみますと「と思ったわけで」とこれはまだ良いのですが、「と思った事情で」と、なんともへんてこな文章が出来上がり、そもそもにして私がどうして「~次第で」という文章を使っているのかと申し上げますと、かっこいいと感じているからでありまして、「~というわけで」というよりも「~という次第で」のほうがかっこいい気がする、という事情があったのであります。もしかすると私のこういうかっこいいと思う感性のようなものは世間離れしていて、ほとんどの人が「~次第で」という言い回しを気持ち悪く感じているのかもしれません。そう考えると酷く恐ろしい。これは例えて見るならば田舎の高校で皆からファッションセンスが良い等と褒められ、意気揚々と都市部に出てみますと周りは自分のような格好をしている人はおらず、自分のファッションセンスと世間のズレを知り愕然と立ち尽くす、といった状況が私にも当てはまるのではないか、と思った次第。次第という言葉には「今まで経過してきた状態。なりゆき。」という意味も含まれているので、そういったニュアンスも考慮してやむを得なく「~次第で」という言葉を使っているのだと言い訳したくなった模様。
6月27日 テレビで痛そうなシーン見かけるとつい「痛っ」って言っちゃうよね
>>自虐が多すぎて読んでるこっちが辛い
とのweb拍手をいただきました。読んでいて楽しいテキストサイトを目指している私としては、これは由々しき問題であり、早急に対処しなければならない、とのことでこれから長い言い訳をさせて頂きたい。
そもそも私も本心から自分を虐めている訳ではありません。私がどうしようもない阿呆で取り柄も無く、能がある訳では無く、やる気も無く、何かを成すにも成さず、かといって何もしないことを貫く程肝が座っている訳でも無い、というのは事実なのであって、自虐では無い。本当の自虐とは私は明日にでも高野豆腐の角で頭を打って死ぬなり、素麺で首をつって死ぬなり、さっさとこの世から消え去って人様に迷惑をかけぬようにすべきである、とこれぐらい書けばこそであり、私は別に死ぬべきでは無いと思うし、これはあまりにも書きすぎである。とはいえ、自分を有体のままに書いてしまうと自虐に見える程酷いということなので、少々嘘を交えて書いていくと、言うなれば私は常に物事の効率化を図り、やるべきこととやらぬべきことをしかと見極め、省エネルギーに努め、虎視眈々と大願を成就する機会を伺っているのであり、決してのうのうと暮らしている訳ではない、となる。
その証に私はこうして盛りソバ食べまくりアイランド、というテキストサイトを立ち上げ、自分の思考の整理から現代においては重宝されるであろうコミュニケーション能力を鍛え上げ、来るべき試練にも耐えられる強靭な精神を日々育んでいるのです。私の自虐がただの自虐では無く、襟を正した上での正しい自己分析による自虐、のように見える何かであることは十分に理解して頂けたと思いますが、如何でしょう?
ここまで読んで勘の良い読者の皆さんの中には気づいた方もいらっしゃるかもしれませんが、その通り、今回はネタが無く、たまたま来ていたweb拍手を元に頑張って長文にしています。web拍手を送ってくださった方への感謝と共に、ネタが無く少々烏滸がましい文章を書いてしまったことをここにお詫び申し上げます。
6月26日 個性
個性について思い悩む人が多いが、個性とは個人と特定できる特徴であり、言い換えれば何かを演じる必要も無く、自分自身のことを書けば、個性は滲み出ているものである。大抵の場合、個性について悩んでいる人のほとんどは他人との違いを求め、奇抜さや希少性を前面に出し、珍奇なネタや一般の人が取らない行動を取ってそれを書き綴るなんてことをする人も多いが、それがその人自身を反映したものかと言うとそうでもなく、個性とは乖離していくことが多いように思うも、実際に人の注目を集めるのは珍奇さであったり誰もがしないようなことをしてのける人物であり、じゃあ一般的な特徴しか無い自分には個性が無いのか、というとそうではなく、人の注目を浴びるような個性が無いだけである。と、じゃあ私には人の注目を浴びるような個性が無いのか、と言うと大概の人はそうであり、もしも世の中珍奇な人だらけならばむしろそういった珍奇な人が一般的となり、今一般とされている人が珍奇になりうるので、そこまで気にする必要は無い。
個性が人それぞれにあるものだと納得したものの、それでも人の注目を集めるような奇抜な個性を求めたい気持ちはよくわかるし、私自身も人とは違った側面を打ち出して人の気を惹きたいように思うが、世界の人口は多く、ネットが普及した今日では世界の人達と簡単につながり、眺めることができ、その結果いくら奇抜な行動を取ろうが、こんな人は珍しい、となるのは極めて困難であり、どのような文体、どのような奇抜な行動を取ろうとも、どこかで見たことがある少し変わった人程度に落ち着いてしまうと私は思い、では奇抜な個性を諦めるべきか、と言うと、それでも奇抜な個性を求めるのであれば遠慮せずにガンガン求めていけば良い、というかそもそもにして「奇抜な個性を求めている」のも個性に入るので、自分の気持ちに正直になってガンガン文章にして晒すことが大事なのだと思う。もちろん、晒したく無いという気持ちも個性なので、全く自分の気持ちは明かさないような文章を書いてもよいが、一般の人は書き手の魂の叫びのようなものを求めている場合が多く、私も例外なくそんな感じなので、出来るならば自分の気持ちを正直に書き綴れば良いと思う。
じゃあ私はそんなに人様に見せられるような奇抜な文章を書き、魂の叫びのようなものを文章に反映しているのか、というとそんなことは無く、とにかく自分の頭の中に浮かんだことを書き散らすのみで、そこに魂が宿っているかというとそんなものは一切無く、頭のなかを書き散らすなんてことは大抵の人は出来る事なので珍しくもなく、自分が今回書いてきた理想のような存在とは程遠いのだが、これも個性のはずなので気にせず書き続ければよろしいと思う。何が重要なのかと言うと、何かしら書き、それを人に見せることが大事なのだ。何かを書けばその時点で個性が反映される。何かを演じてきっていたとしても既にそれすら個性と言い切ることができるのでここで反論するのはやめて欲しい。あ、文章を書かないことも個性なのではないか、と言われればそうなのであるが、文章を書かないという面から感じ取ることができる個性よりも文章を書かない人が頑張って書いた文章からのほうが個性が読み取れるので、問題無しだ。
個性は文章から染み出さざるを得ないものなので、文章を書いて、それを人に見せよう。
6月26日 アンチ「アンチ先入観」
先入観とは前もっていだいている固定的な観念であり、言うなればテキストサイトの先入観としては黒色の背景に白色の文字、強調する部分は赤色の文字を大きく表示、打ち消し線を使いまくりの軽い毒舌、下ネタ、といったような感じだ。もっとわかりやすい例だと大阪という地域に住んでいる人への先入観に大阪弁、たこ焼き器を持っている、ツッコミが上手で明るい等あるが、私の友人の大阪出身の奴は時々大阪弁を使う程度で、所謂こてこての大阪弁とツッコミを巧みに操れる人では無く、内向的かつ人見知りの、どちらかというと挙動不審な雰囲気を漂わせており、たこ焼き器を持っておらず、本人曰く「自己紹介で大阪って言うとその後の絡まれた時にあからさまなボケをかまされ、『なんでやねん……』と虚しく言う羽目になるので最近は奈良や京都出身にしている。そちらのほうが文化的情緒のある人に見られて色々と便利。」
と、まぁ先入観とはこのように本質を見誤らせる事が度々有るため忌み嫌われ自由な言論が活発なネットでは「先入観討つべし、断固許すまじ固定観念!」というような人も多いのだが、そもそも先入観とは如何様にして出来たのかと考えると、ネットやテレビや漫画や映画等のメディアに出て来る大阪出身のキャラクターを見たり、もしくは私の友人の大阪出身であるA君とB君とCちゃんとDさんは皆大阪弁を巧みに操りツッコミが上手でたこ焼き器を常に持ち歩いていた、よって大阪出身の人は皆そのような性格なのであろう、といった経験からくるものであろうことが推測できる。十人十色という四字熟語を教えられたのは小学校であることを薄っすらと覚えている私を始め、「みんなちがってみんないい」と言う金子みすゞや学校教育に「先入観に囚われず、しっかり己の目で個々を見極めよ」と叩きこまれてきた我々が何故に先入観に囚われるのであろうか、と考えた所、やはり先入観は便利であり、もはや人が物事を予想する時には先入観は必須と言って良く、故に先入観に囚われるのだ。
例えばゲームで分かれ道が有り、左、左、右、左、左、右、と進めば正解である道のりを進んできた地点で、次の分かれ道は左に行けば正解であろうことが予想できるが、次に左に行けば正解であるという予想の根拠は今まで進んで来た道のりであり、つまり経験からくるものである。だが次にどの道を進めば正解であるかという根拠はそれ以外に全くなく、これはつまり先入観に囚われているのである。もしかすると始まりの村の襲撃事件の際に生き別れになった姉が、事件の起こる直前に星空を見ながら雑談していた時に渡されたお守りの仲に入っている暗号文を解くと「左、左、右、左、左、右、右、右、左」と記されており、それを元に進むダンジョンである可能性は否定できず、つまる所左、左、右、左、左、右、と進んで、次に左が正解だと思い込むのは全く持って根拠が不十分であるのに、どうして我々は左が正解だと思ってしまうのかと言うと、それは何度も言うように先入観によるものであり、何故に先入観を抱くのかというと、大抵のダンジョンでは左、左、右、左、左、右、と進んで正解だった場合、次は左を選べば正解であることが多いからである。言うなれば先入観とは時間をかけずに物事を見極めようとする誰しもがしたい効率化によるものであるからにして、決して憎むだけの物では無いはずなのだ。
人を大阪出身だからと言って色々と決めつけてしまうのは私の友人を例にとってみてもやめておいたほうが良いことではあるが、なんでもかんでも己の目で見極めていればとんでもない時間がかかることは容易に想像せうることであり、我々が先入観を抱くのは、いわば効率よく生きる手段であり、確かに先入観によって見誤ることがあるものの、先入観のおかげで物事をスムーズに把握できることが多いことを忘れずに、先入観をボロクソに批判してきた人は今ここで先入観に和解を申し入れ、奉り、毎日の礼拝を欠かさずにすることが重要なことなのかもしれない。
長くなってしまった。言いたかったのは、怪しい宗教勧誘は先入観の名の元に速攻で断りましょうってこと。
6月25日 ライトなノベルとは
まず始めに言われて頂くのが、ネタバレに注意ということである。
読みにくいのが役に立つ時が来るとは誰が思ったであろうか。ネタバレがパッと目に入らない。
無駄に改行しているのは適当な余白の為である
私は普段ライトノベルは読んでいないのは周囲の目を気にしているからにほかならず、機会があれば読んでみたい、というかそもそも読んだことが無いのでライトノベルとはどういうものなのか自体わからず、所謂オタク層向けのイラストがところどころに挿入されている若者向けの言葉で綴られた小説、といった印象を抱いていたのだが、先日友人が「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」というライトノベルを12巻全て買い揃えたにも関わらず最後の12巻で裏切られた、死んで抗議する、等と言い張り、私に一つ100円で買わないか、と言っていたのを値切りに値切り500円で12巻まとめて買い取らせて頂き一気に全て読んだのだが、まぁなんというか、主人公である京介という人物に上手く感情移入できていればよいのだが、少し感情移入できなかったりするやいなやとてつもない恥ずかしさやらむず痒さやら、その主人公への嫉妬心や呪われよって感じの感情が沸き上がってきたりする内容で、つまる所大部分が妹やそれらを取り巻く可愛い女性とのやりとりを描いており、ここまでそういった女性とのやりとりを、読んでいるこちらが赤面しそうな内容ばかりであり、呪われよっていうかなんというかなのは置いておいて、私がここでわざわざ取り上げたのはラストの12巻をボロクソに批評していた友人と、amazonのレビューに物申したいからである。
ザッと説明すると良く居る普通の男子高校生である主人公の京介と陸上競技に勤しみながらも雑誌モデルでも精力的に活動する出来るヤツである主人公の妹の桐乃はある事件がきっかけで仲たがいし、同じ家に住むもほとんど接点の無いまま暮らしていた中、妹の桐乃がいつまにやらエロゲ趣味を抱えており、それがひょんなことで主人公である兄にバレてしまったことから少しずつ仲が戻っていく。それからまぁ色々あるのだが、11巻あたりでそのある事件を解決し、根本的な仲たがいの解決した後に、そこに至る迄に主人公と仲良くなった、というか主人公にいつの間にやら惚れていた、妹と同じ趣味を持った友達を作ろうと画策した時に知り合い、その後主人公の彼女にもなった中二病かつ電波系の痛い黒猫なる人物や、妹のモデル仲間であり、主人公も一介のファンであり、主人公が受験勉強をするため簡単なアパートに篭った時に一切合切のお世話をしてくれたあやせなる人物やら、主人公のことを誰よりも理解しておりことあるごとに相談ごとをしたりした幼馴染の真奈美なる人物やらを全て、妹が好きだからという理由で全員の好意を無下にし、妹に結婚を前提としたお付き合いを申し込む、といったのが12巻の内容である。妹は実は血が繋がっていなかった等のご都合主義は無く、実の妹であり、妹のほうも12巻に至るまでのなんやかんやのうちに主人公である兄に恋愛感情を抱いており、いうなれば兄弟間で恋愛感情をお互いに持つ、相思相愛の関係になっており、兄はクリスマスの日に告白し、なんとも壮絶である。私の友人は黒猫なる一時期主人公の彼女になっていたキャラクターを異様に好いており、最終的に黒猫と幸せになると勝手に予想していたらしく、12巻の内容には意気消沈した後に激昂し、許すまじ、と叫び、荒れ狂い、疲れ果てて息も絶え絶え、私はこの結末を認めない、とうわ言のように呟きながら私に500円で売り払ったのである。
私が感じたことは、なんとも作者は誠実で、真摯に実の妹とのハッピーエンドを描こうとしたのであり、私はこの点においてはえらく評価できるというか、つまるところ妹を選んだのは正解であると断固主張したい。真摯に、というのは伏線を全て回収した等という陳腐なことではなく、日常生活における人間関係のいざこざを、自分がやりたいことを譲らずに解決するにはどうすればいいか、ということを懸命に考え、考えぬいた結果に描くことができたと感じることができる内容で、友人の怒りはしごく自己中心的であるというか、あそこまで怒り狂うのは見当違いも甚だしいと思う。まぁ具体的にどうやって解決したのかと言うと、全員の好意をお断りした後に妹に告白、ほんの短い期間の間だけ恋人同士で過ごし、幼馴染の言うように、実の兄弟で付き合うのは世間体やらの問題や、親がその関係を絶対に許さないであろう問題もあったりして、結婚式を教会で二人きりで挙げ、恋人の関係をやめて普通の兄弟の関係に戻る、と書いてみればどこがハッピーエンドなのか、他の女性からの告白を全て断っておいてこれか、等と怒り狂うファンが居るのも頷ける内容なのではあるが、私としては読んでいて主人公と妹のスッキリした感じというか、気持ちの整理がついた感じがよく描けており素晴らしいと思った所存。主人公がやったことと言えば自分の正直なきもちを大声で叫んだことぐらいであり、むしろそれだけで全てが上手くいった感じがなんとも小気味良い。、日常生活における人間関係のいざこざを自分の気持ちを素直に相手に伝えることで解決する物語といって良いような気がするし、私はむしろそこらがメインであるとも思う。
ライトノベルを読んだのは始めてだったのでまぁ感じたこと等を書き留めておきたかった点をふまえて、ライトベルという観点で話をしてみると、確かに読んでいて恥ずかしいシーンが多いものの、田山花袋の蒲団も同じようなものであり、世間で馬鹿にされている程酷くは無いと感じる。無駄なシーンというと怒られそうだが、いちゃいちゃした絡みをもうちょっと減らしてテンポを早くしてみれば物語としては面白みが増しそうな気はするのではあるが、多分そうするとライトノベル的な面白みが無くなってしまうのではないかな、と思い、そこが普通の小説とは違った所なのではないかと思った。ちなみに個人的にはあやせというキャラクターが一番好みである。
6月24日 引き継ぎ非対応
こうやってテキストサイトをはじめたことにより毎日思考を垂れ流すかの如く思いついたことをそのまま書いていっているのは良いのだが、やっているうちに困ったことに気づいた。文章をこうガリガリ書いていると目なり肩なりが凝り固まるのでコーヒーやら紅茶やら飲むなりして休んでからもう一度文章を書こうとすると、全くと言っていいほど何も書けなくなるのだ。困った。
原因は恐らくではあるが、私がこうやって文章を書いているが、それはほとんど勢いというか、ノリというかで書いており、もちろん書く前からどんなものを書こうかと考えてはいるのだが、一度書き始めたら何も考えていないというか、正確に言うと考えていることをそのまま文字にしている感じでカタカタキーボードを弾いているといつの間にか完成している、と言った感じで、文章の区切りかたや段落の設け方等は適当にも程があり、推敲なども簡単にかしなくなった結果見苦しい文章になっているということはある程度お詫び申し上げ無ければならないと思っており、この場を借りて謝罪します。申し訳ありません。と、話が脱線したが、勢いで書いているがゆえに間を空けると気分が変わってしまうというか、勢いが失せるというか、もはやその時には別のことしか考えられなくなっており、文章の続きを書こうとしても意味不明なことになってしまい、無理やり締めようとする余り、やっぱり鍋の後の締めはラーメンですよね、等と面白くもなんともない文章を書こうとしたりと良いことは一つもなく、それ以来出来る限り文章をまとめて書こうとしているのである。
が、ここでもう一つ困ったことが起きてしまう、というのも私は非常に流されやすいというか、克己心が皆無に等しく、疲れてきたな、等と思った次の瞬間には適当な食べ物を探しに行ったり好きなCDを流そうとしたり、意味もなく横に転がってみたり、普段は全くしない掃除を始めてみたりと落ち着きがなくなり、そうなると頑張って書こうとしても大概は別のことをしてしまい、その結果文章を続きから書く羽目になり、上記のような面白くもなんともない文章を書いて更新してしまい、その後皆から見放され、盛りソバ食べまくりアイランドは絶海の孤島と化す、といった結末を迎えるのである。困った。
そんなこんなでボツになったというか、途中までは上手くいったけれども結局完成させずに放置している文章が既に4つぐらい溜まっており、私はその続きを頑張って書こうとしていたのであるが、その続きを書きながら今書いているような、途中から書くと文章が駄目になっちゃうんだよなぁ、といったことを考え始めてしまい、その結果続きが全く書けずに困ってしまって、ええい、こうなればそのことを書き上げてしまえ、と思い立ってこうやって書きはじめて今に至る。一度考え始めたらやめられないくせに、考えているうちに気移りしてしまったら最後、引き継ぎ非対応の為続きを書くことができないとはなんとも不便というか、こんなゲームが出てきたら私はクリアする前に中古屋に売りに行き、あのゲームは引き継ぎもできないクソゲーだった、と喚き散らすであろうなぁ、と思った。
どうも、クソゲーです。
6月23日 怠惰
私は絵を描く能力が皆無ではあるが、上手い絵が、といってもプロレベルではなくてもよい、人に見せられる程度、というと曖昧なのでさらに厳密に言うと、頭の中で思い浮かべた未来の家具を描き、それで出来た絵がその家具の説明に使える、といった程度には上手く絵が描きたい等と思っているのだが、かといってそれ相応の努力をしてきたかというとそもそも一切の努力をしていないのであり、それならばもちろん絵が上手くなるはずもなく、つまりは絵を描く能力が皆無等と言う前に絵を描けという話なのではあるが私は一切絵を描かない。何故か。己の克己心の無さ、怠惰によるものである。
とは言うものの、そもそも人という生き物は怠惰にまみれており、世の中ダイエットという言葉が流行っているが、ダイエットという言葉が指す内容というのは大体にして、出来る限り少ない時間と労力で楽して痩せる方法なのであり、本心から痩せようと思い、出来る限り運動を努め、それでもデスクワークが邪魔をし痩せられずに絶食等をし倒れ、痩せる為の時間が少なすぎるので少ない時間で痩せられる方法を探っている、という人はどちらかと言えば少なく、本心から痩せたいのではあるがそこまで努力はしたくない、これこそまさに怠惰。己に打ち克つということがいかに難しいか。
歳を取り新陳代謝が悪く痩せるに痩せられぬ、と言うが本当に痩せることに全力を尽くせばダイエット本を読む間になにかしらのスポーツを始めれば痩せられるというのは私の友人の父が証明してみせたことであり、その後その友人の父はそのスポーツ、というのはフットボールなのであるが、フットボールにドハマリし、今や痩せるどころか筋トレを始め地域の大会で優勝を狙っている、と己に打ち克つというよりは痩せるという目的が上手く変化し楽しく痩せられた例なので少し違う感じもするが、出来る限り少ない時間と労力で楽して痩せる方法を取らずとも努力し痩せれば痩せられることの例にはなったのではないかと思う。
確かにそうだ。出来る限り時間と労力をかけずに楽をしたいという怠惰が人類を大きく発展させてきたのではあるが、痩せることを第一目標にするのであれば兎にも角にも努力すべきなのではないか、と私は思っているのではあるが、一向に絵の稽古を始めることができず、もし仮にはじめたとしてもそのあまりの下手くそぶりに三日坊主ならず合計3時間程度でやめてしまい、ピクトセンス等のサービスで自分の絵の下手さ具合をネタに笑うのが落ちなのである。
何故か。まさに怠惰。怠惰の成せる技。よく努力をしない理由に、その努力が報われるかどうかわからぬ、という人がいるが私が求めている絵の上手さというのは努力によって確実にもたらされると言って良いのに、それでも努力をせぬ怠惰、そしてそれをテキストサイトのネタにしあざ笑い逃げる卑怯な心、とここまで書いて山月記の李徴子を思い出したがそれとは異なり、彼は本当は自分に才能が無いのではないか、と恐怖するような高いレベルを求めていたのに対し、私はそこまでのレベルは求めておらず、自分自身でも努力さえすれば目標のレベルまで上達すると確信しているに関わらず努力しないのであって、まさしく卑怯。
だが、今からでも遅い訳ではなく、たった今から努力を始めれば3年後には目標に達しているハズである。それがわかって努力をするほど私は素晴らしい人間ではなく、それがわかっていて努力しない人間は世間に山ほどおり、私もその一人なのだと思うと虚しい、悲しい、苦しい、辛い、とここまで言うのであれば努力を始めれば良いではないか、と思う、のではあるが。
6月22日 マイナーがお好き
人に好きな漫画等を尋ねられた時、私は何を教えるべきかかなり迷う、というのも例えば私の好きな漫画の一つにドラゴンボールがあるが、ドラゴンボール等答えようものなら、ドラゴンボールぐらい一般人の教養であるからして好きな漫画を答える時にそれを答えるとは不届き千万、許さん!等と言いながらかめはめ波等を撃たれる可能性というのは一切無いとは言い切れないのであって、そこまでいかないとしても、はは、こいつドラゴンボール好きなんか、漫画初心者め、等と舐められるのが怖いということもあって、私は好きな漫画でもできるだけマイナーな作品を答えるようにしている。
だが、困ったことにマイナーな作品を答えた所で誰も相手にしてくれないというよりか、とりあえず知らないので、へぇ、そう、それが好きなの、みたいな感じで流されるか、中にはお人好しも居て、それってどんな漫画、などと尋ねてれくれる人もあるが、それがまた困ったことに、ええと、その、竜の学校は山の上って漫画は、短篇集なんだよね、等と答える羽目になって、短篇集であるがゆえに少し話しただけでネタバレになってしまうという問題もあったりして、やれん。
まぁそんなこんなでマイナーな作品をオススメしがちな私なのであるが、何もせずにマイナーな作品を知り得ることは出来ぬので、ある程度の労力を払ってマイナーな作品、つまり、お、この漫画面白そう、と思ったものを本屋などで衝動買いする必要が出て来るのだが、これがまた辛いもので、というのも私は見る目が無いのか面白い漫画を一発で引いたことがほとんどない。最近は短篇集や一巻完結作品等が好みなのだが、これまたそもそも本屋でこれらの本を見かけることが少ない。虫と春や25時のバカンスは一躍有名になって、誰かにオススメしても、マンガ大賞に選ばれた漫画を挙げるだけの薄っぺらい人間め、と罵倒される恐れがあり、オススメするにできなくてやれん。
ってなことで最近私がオススメなのは、ぼくらのよあけ、という上下巻完結の近未来(今の生活に空中ディスプレイとかオートボットとかいう家事洗濯等ができる人口AI搭載ロボットがある)の世界で、小学生が宇宙人を宇宙に返す為に奮闘する、というお話の漫画です。
6月21日 NO MORE サドル泥棒
毎日会う友人がその日は妙に落ち着きが無いというか、イライラを無理やり押さえ込んでいる、といった様子なので、何かあったのか、と尋ねてみるとその友人曰く、サドルが盗まれ今日も立ち漕ぎだけでここまでやってきたが、ふと赤信号で止まった時に座ろうとしてびっくりしたり、見た感じも不恰好で大変イライラしている、といったようなことを説明してくれ、しかし一体まぁどうしてサドルなんぞを盗むのか、金になるのか、みたいなことを言うと、その友人はこの前路端でサドルだけ売っている身なりの悪い男を見た事があり、売るあてはあるのだろう、と言う。とはいえ、その値段は300円程度でわざわざ窃盗というリスクを負うにはあまりにも安価、それに加えてサドルだけを買うというような人物はよっぽどの物好きか、無機物に対する愛を持っている人物か、演劇でサドルをネタに使う人物ぐらいで、あまりにもデメリットのほうが多いのでは無いかと思い、そういえば以前にいつものようにネットを漂流していた所、サドルが盗まれた代わりにブロッコリーが挿してある、といった嘘か真かよくわからない画像を見かけたのを思い出し、駐輪禁止地域に自転車を駐輪しているのを気持よく思っていない人物の怒りが最高潮に達し、我を忘れてサドルを盗んでしまった、つまるところ無断駐車への怒りの抗議なのではないか、とその友人に言った所、自転車は駐輪しても良いとされている所に停めてあった為、そのような怒りを持つ輩のほうがボケナスである、と怒りを含ませて毒づき、他の自転車を利用している人を周ってサドルが盗まれたことがないか等の情報を収集していくる、というのでその友人と別れた。
そのサドル窃盗事件について一人歩きながら考えていたのだが、その時ふと思いついたのが、路端でサドルを売っている身なりの悪い人物が犯人では無いかということで、というのもサドルを売るにもサドルを買う人がおらず、このままでは家賃が払えず住んでいるボロアパートを追い出され、今まで盗んできたサドルも持ち運べる量には限りがあり、収入の見込みも無くなり、もはや死ぬしかあるまい、と思いつめていたところに、サドルを買うものがおらぬのであれば作ってしまえばよい、と思いつき、もはや死ぬ覚悟で駐輪場や駐輪が許可されている所からサドルを盗みに盗みまくり、サドルを買わねばならぬという人を自らの手で増やしているのではないか、といった推測だ。
これを友人にその次の日に話した所、それならばなおさらそういう男からサドルを買ってやる訳にはいかぬ自転車は仕方ないが新調する、ということなので、比較的新しいサドルが無い自転車を譲り受けて今自分が持っている自転車のサドルを挿して使っている。
6月20日 自虐的謙遜
ネットサーフィン、つまりインターネットブラウザで面白そうなページから面白そうなページへ次から次へと飛んでいくといったことをダラダラとやっておると、時折見かけるのが自分に自信が持てず自虐をしておる者は人に好かれるはずもなく、何故かと言われれば例えばあなたが電気屋、電化製品を販売しているお店に行ったとして、その電気屋の店員が、この商品は少々欠陥があり、全く使えないことが多々ある他にも見た目もそこまで優れず、今まで買っていったお客様はございませんがあなたは買って行きませんか、などと言って宣伝してみせたとすればその商品を買う客は皆無であろうことは容易に想像しうることであり、つまるところ自分に自信を持てず自虐をしておる者は直ちにその態度を改むるべし、といったような内容の文章であったり私が知らない漫画の一コマであったりである。
ははぁ、なるほど、なるほどなぁ、等と感心しつつも私がこうも自虐的であるということの一つの理由としては、自信を持って私は人様の前で自信を持てるような立派な人間では無いというのがあって、もっと具体的に言うといつも怠惰が勝り、ちっとも真面目に生きておらず、何事かを極めるといったことをせず、いうなればダラダラとその場しのぎの生き方をしてきたからであって、それ故に電気屋のたとえで言うなればお客に宣伝できるような点がひとつもなく、なぜ店にそんなものを入荷したのが不思議になるような商品である、とここまで考えて店と違って私は在庫処分するにも出来ないとんでもないものであることに気づく。こういうことを書くとよく言われるのが、自殺等を考えておらぬな、というような心配の声である。心配ご無用。というのも私は出来る限り楽して生きたいなぁ、と思っており、一生懸命に生きている人を見ると、ギリシアに居たと学んだ無産市民というとんでもないレッテルを貼られてた人や、当の一生懸命生きている人に申し訳無くなる気持ちはあるものの、あくまで楽して生きたい、生きたいということであり、死にたいとは一度も思ったことは無く、むしろ出来る限り死にたくはない、あわよくば誰かと共に不老不死の薬でも食したいと思う程の図々しさである。
ここまでの図々しさを持っておりながらも自虐的であることの一つの理由が表面的には自虐的でありながら精神的には自虐では無く、出来る限り楽して生きたい、等と考えている本当に駄目な人間であることであるが、もう一つの理由としてあるのが、蕎麦という食べ物を生んだ素晴らしき日本の文化として、他人と離す時等は自らを貶す、つまり自虐することで相手を持ち上げる、即ち謙遜というものがあって、この考え方が染み付いてしまった当方としては、謙った態度というものは相手を持ち上げるに等しく、相手に不審に思われない程度には自虐するのが正しい接し方だ、という考えがあるということである。
つまらないものですが、等と言いながら渡す粗品も謙遜の文化に基いたものであって本当につまらないと思って渡している訳ではない。「つまらないと思うなら渡してくるな阿呆」等と抜かすたわけに向かって私は、お前なんぞに謙遜してやるかド阿呆、と思うのであるが、そうなると謙遜の美学を知らぬたわけとしては、「ややこしい謙遜を抜いて正直にド阿呆と思っていることを話してくれた」と却って喜ばせることになりかねない、と思い直し、堂々巡りの思考が始まって今日も自虐が始まり自分の阿呆さを実感する、という謙遜ではない事実。
6月19日 執着
本日の更新のネタは何にしようかな、なんて思えるほどネタが豊富な訳ではなく、ふと時計を見やると既に18日は終わりかけであり、これはいよいよ本格的にネタを絞り出す時が来た、正念場だ、と思って考えるも全く何も出てこず、それならば、と音楽をCDプレーヤーで聴きはじめる。
CDプレーヤーでCD再生ボタンをぽちっと押すと、オスカー・ピーターソンの感じの良いピアノが鳴りはじめて、夜はjazzに限る、とか誰も居ないのにかっこつけていると、00:23の文字が。もうそんな時間って思ってちょっと焦って考えて、そもそも毎日更新せねばならないと思ってしまっているのはそれ則ち私が開設してから毎日かかさず更新してきたからであって、それを今日絶やす訳にはいかぬ、みたいな強迫観念に似た何かがそう思わせているのだろうと思い、むしろ今日は更新しないほうが良いのではないか、みたいな考えまででてきた。そういった強迫観念に囚われて更新し続けると、不慮の事故等でたまたま更新できなかった時、ショックを受けてそのまま何日もズルズルと更新しない自体が発生し、そのまま面倒になって無言でサイトを閉鎖し、ありがたく読みに来てくだすった読者の皆さんに、一体アイツは何がしたかったのかもよくわからないし、いきなりサイトを閉鎖しやがってクソが、みたいな印象を与えることになりかねず、そういった自体を防ぐにはまだそういう執着が薄い今のうちに更新を一回スキップする等のことが有効なのではないか、みたいなことを思って、そこまで考えて私の考えが怠惰によるもの、つまり今日更新するのが面倒だからそういった考えに至ったのか、それとも本当の本当にテキストサイト運営のことを真摯に考えた結果なのか、と悩んでおり、ふと顔を上げた。
目の前には04:32の文字が。え、4時32分?それはおかしいだろう。先ほど0時23分じゃないか、と思ってよく見ると04:46。よくよく見ると超高速で進む時間。もう5時になってしまう、と思った所でトラック3と表示されて、時計だと思っていたものがCDプレーヤーのディスプレイであることに気づいて、ああ、びっくりした、とか言いながら00:23の文字を尻目に、まだ0時23分か、なんて思って安心して、本当の時計を見たら1時40分で間抜け顔。
6月18日 虚栄心
自棄になって書きなぐった文章を掲載してしばらくしてから私はとんでもないヘマをしでかした、見てくれている人にとってアレほど見難い文章は無く、書いていることも大したものでは無く、折角読みに来てくださった方々も、このサイトの面白くないことと言ったら流行を過ぎた一発芸人よりも酷い、などという思いをいだきながらブラウザバックで済めば良いが、あまりの面白くなさにブラウザソフトごと消してしまう、と冷や汗を書いたが、そもそも私がそういうことを考えるのは全て虚栄心によるからであり、虚栄心とはつまり他人からかっこいいと思われたいという心のことであり、それはほとんどの人間が少なからず持っているのではないかと思う。
かのキューバ危機でアメリカもソ連もボタンを押せば世界滅亡なんて所まで意地を張り合ったのは他人に舐められたくは無いという虚栄心のようなものが多くを占めており、舐められたら取引が不利になってどうたらこうたら、てなことを考える以前にとりあえず舐められたくない、それぐらいなら喧嘩で勝負つけたる、みたいな心持ちが大きかったように思い、ますます虚栄心が人を支配していることを確信した所でもう一度私の話に戻りますと、やはり私も例外に無く世の中の人間と同じように虚栄心にまみれ、自分の運営するサイトぐらいはかっこよく見せたい、あわよくばほめられたい、みたいなことを考えながら延々とHTMLのタグを書いたりしている訳ですが、なんともそれが顕著に表れているのが文体で、本心として読者様は敬わねばならぬ、というのはあるのだが、それ以上に丁寧語かっこいい、みたいな気持ちが無いでも無く、今日自暴自棄になって書き散らした、つまり今書いているこのなんとも言えず中途半端でかっこわるい文体が普段私が使っている文体であり、読みにくいことこの上無い。が、一度この文体で書いてみたら驚くほど筆が進んで、書くのがこんなにも楽なのであればこの文体を使っていっても良いのではないかと思う所で、怠惰な心が虚栄心に勝り、怠惰な心と虚栄心が私の中で戦っている様を想像して、私の中身はやはり面白さのようなものは無いのか、等と絶望しておるうちに怠惰な心が虚栄心を打ち負かして、じゃあこれからはこんな感じで書いていくことを説明せねばならんなぁと思い、いまこうやって文章を書きながら、沸々と湧き上がる虚栄心を殺す。
6月18日 面白い文章
テキストサイトを運営するにあたって思うのは、やはり見てくれている人が何かしら面白いと思うことを書かねばならぬ、ということであってその為にはおもしろいことを書く必要があるのだが、残念ながら面白いことというのはそう簡単に書けるものではなく、既に廃れていると言われているテキストサイトだが、それらが全盛期であった頃の論争を見ても面白いことを探求し書くということはよほどの苦労であったと見えて、現在に至っては苦労して面白いことを書こうと思っている人等は滅多におらず、Twitter等という呟きサービスなんかを利用して、別段苦労せずともふと思いつく瞬発的な笑いなんかが世の中のトレンドな訳だがあくまで私はテキストサイトを運営したいと思っている以上、最初に戻って見ている人が面白いと思う文章を書きたい訳ではある。
が、繰り返しになるが、面白い文章というものは苦労しても中々書けぬもので、その難儀からは私も同様に逃れることができず、面白い文章が書けぬのであれば、少しタメになる文章を書いてやればよいと思い、ちょっと真面目風なことを書いてみたりはしたものの、オモコロという大手サイトがテキストサイトについてまとめたこともあって、やはり私は面白い文章を書きたいのであって、といっても真面目風の文章も書きたく無い訳ではないが、やはり面白い文章を書こう、書こう、書こうと思って、Terapadを起動して意気揚々と向き合ったものの、全く指が動かず時間のみが経ち、こんなことをしている時間は無いのだ、等と逃げるように音楽を流して和み、そこで面白い文章を書くことの難しさを思い出し、精神的苦痛のあまりTerapadを閉じる。
繰り返し書くことになるが、面白い文章というものは苦労しても中々書けぬもので、しかもそもそも面白い文章等というものはこのテキストサイトを運営するまでは書こうと思ったことすら無く、そんな素人のペーペーが面白い文章を一日で書ける訳があるまいと思うものの、やはりそれでもそろそろ真面目風の記事以外の更新もせねば、読みに来てくれる人も、ここはこういう記事で行くのだろう、そうか、そうか、つまり君はそういう奴だったんだな、と思い滅多にこのサイトを訪れることは無くなり、もはや私としても真面目風の記事を書く以外に道はなくなり、面白いことが書きたいのに書けないというどうにもならぬ状況に陥ってしまい、そのうちにテキストサイト運営する気力も喪失、サイトを無言で閉鎖、読者側も勝手にサイトを閉鎖してよくわからぬクソみたいなヤツだった、というような記憶のみを残してネット界隈を去ることになりかねないと危惧とした私はここで逃げずに面白い文章を書こう、書こう、書こう、としてやはり書けない。
繰り返し書くことになるが、面白い文章というものは苦労しても中々書けない。
もう半ば諦めた気持ちで、現在の私の心境を書き留めるしか無い、と思い自棄になって文章を書き散らしたら改行することすら忘れて、文体もいつもとは違う感じで、非常に読みづらい文章になってしまい、申し訳ない気持ちはある一方で、このことはいつかは白状せねばならぬとも感じて、そのまま更新に踏み切ることを決意して、今に至る。
面白い文章を書こうとしてひたすら感じたことは、面白い文章を安定して書ける人は神か、ってこと。
6月17日 自分の意見は自分の言葉で
これはある種自分への戒め。
自分が何か物事に対して意見を述べる時、ついついその意見を一般論化してしまいがちだが、
それはよくないよなーって思っている。
理由は色々あるが、最も大きな理由としては
自分の意見の正当性を世間一般に頼ってしまっている気がして、それがどうも気に食わない。私が。
一般論化なんて書くとわかりにくいが、簡単に言ってしまうと
主語を「私が」では無く「世間一般が」に置き換えるだけの簡単なお仕事である。
まぁわざわざ世間一般が、なんて付ける人は滅多に居ないので、大抵は「世間一般が」は省略する。
顕著に表れるのが「~じゃないですか」という言い方や「オワコン」という言葉。
「テキストサイトって毎日更新するものじゃないですか」という言葉を私が書いたとして、
その意味は「私はテキストサイトは毎日更新するものだし、お前も毎日更新したほうが良いのではないか」程度の意味合い
なんだろうと推測できる。別にこの意見は正当性を示す必要は無いのでグダグダと根拠を書く必要は無いが、
「~じゃないですか」という言い方をすると、「テキストサイトは毎日更新することが『正しい』」ことで、
逆に言えばテキストサイトを毎日更新しない所は『誤り』である、といったようなニュアンスで伝わる。
別に正しさを主張する必要は無い上に、自分で思ったことなのに世間一般が言っているから、というのは
なんとなく卑怯な気がしないだろうか。
まぁこんなことを書くのには訳があって、学校の後輩と久々に会ってきたのだが、
私に何か頼む時に「~じゃないですか?」みたいな言い方を連発するのだ。
「ふつう先輩がおごるものじゃないですか。」ならまだわからないでもない。
「コカ・コーラとメロンソーダならコカ・コーラを選ぶものじゃないですか」
それは君の好みでしょうが。
「えっ?PS4とXboxONEならPS4選ぶものでしょ?ソニーは日本の会社だよ?」
知るかハゲ。PS4もドルで値段発表してただろうが。
といった調子だ。
「オワコン」という言葉も、「○○はオワコンだろ」という言い方をした時
大抵は「○○は世間一般では流行が終わったので、終わったコンテンツだ」といった論調で使われる。
お前の好みだろうが、って突っ込みを入れたい。お前の欲望だろうが、って突っ込みを入れたい。
自分の意見の正しさであったり、説得力を「世間一般」を担保にするのは卑怯じゃないだろうか。
私は気をつけていきたいと思う。私が卑怯だと感じているから。
6月16日 音楽聴きまくりアイランド
テキストサイト作るのはいいけれど、耳が寂しい。
youtubeで音楽聴くのもなんか気が引けるし、かといってお金はかけたくない!
そういう人の我儘に答えます!
具体的に言うと、合法的で無料でアルバム形式でDLできる神々を紹介させて頂きます。
まずはネットレーベルから!
と言ってもネットレーベルでググればわかりますけど膨大な量があります。
人はあまりにも多い選択肢を目にした時、なにも選択しないことを選択しがちだとか。
適度に選択肢を絞ったほうが良い訳ですね。ですのでちょっとオススメを抜粋しつつ紹介します。
あ、普段アニソン聴いている人はアニソンのRemixを下のほうで紹介しているのでそちらをどうぞ
超大御所ですし、知っている人も結構多そうです。結構ジャンルはバラバラ。それでも一貫性はある。
中でもオススメは
fu_mouさんが有名になるキッカケとなった、カービィのグリーングリーンズを綺麗にアレンジした作品
ランタンパレードのとき゛すまそうのアレンジも素敵。
メロディーが綺麗で聴きやすいエレクトロニカ。
落ち着きたい時とかに聴いてみるとなお良い。
落ち着いた雰囲気のエレクトロニカ的な音楽が多めのネットレーベル。ネットレーベルっぽい気がする。
中でもオススメは
このネットレーベル第一作目の作品。主催の599さんのアルバムですが、
特に3曲目の環境音を上手く使っている感じが堪りませんね。
ハードコアが聴きたい?テンションを上げて行きたい?ならここだ!
サイトデザインが美しい時点で結構テンション上がるのですが、
参加者の豪華さにも中々驚く。
万能すぎる鳥さん……Freezerさんが主催です。彼のうっかりがこのネットレーベルを生んだとは思えない。
中でもオススメは
ハッピーになれます。
もっとYABAIネットレーベルは無いのか!?って人はここを。
見づらいサイト構成の上、「より多くの混乱と快楽を!!!」の文字、そしてTOPページ下にあるYABAI BUTTON。
時間を軽く奪っていく上に中毒性もあるので大変危険です。
中でもオススメは
クラブミュージックとポップの間ぐらい。可愛い音で楽しい。
けいおん!好きな人はCagayake!GirlsのRemixがあるのでなお喜ぶべし。
ネットレーベル多すぎる為このへんで無理やり切り上げます。
音楽って星の数ほどあるから恐ろしい。
各ネットレーベルのリンクから更に辿れるので気になった人は辿ってみるといいかも。
あ、最後にnetlabelをペタリ
上でアニソンがどうのこうのと言っていたので、アニソンRemixとかな。
アニメの声ネタ使いまくりのいじりまくりですね。その上クオリティ高い。
A-Remixnation 7 Disc1の10曲目のぱんつぁーふぉーとかアニメ見たことあるなら面白いです
Asteriskさんの個人のRemixアルバム。アルバム形式にしてくれるとすごく聴きやすいのが持論。
SHOOT!とかメリハリある上にカッコイイし笑えるしで楽しいRemixだと思います。
アニソンでは無いけどネットレーベルでも無い感じのはここから下に
ニコニコ動画に「中二病の俺が~を頑張って耳コピしてみた」シリーズで一躍悪名を轟かせた黒魔さんが
今ではSOUND VOLTEXに曲が採用されるまでとなりました。
人は5年継続して何かをすれば、その道をある程度極めることができるようです。
HPの一番上のアルバムはamazonで売っているCDですが、それより下のアルバムは全てDL可能。
どれ聴けばいいかワカンネーって人はもうそうげーむとかオススメです。
ボカロPでもあるkvoldさんの非ボカロアルバム。
bandcampの仕組み上月に一定DLを越えると有料DLになるので、そうなっていた場合は次の月にDLしてください。
多分TOPページにあるであろうThe Worldというアルバムがオススメです。
ピアノ推しのあなたはScrapbookのほうをどうぞ。
なんとも落ち着いて聴けるエレクトロニカです。染み入る。
アイリッシュ・トラッドの同人サークルCasketのbandcampだあああ!
bandcampの仕組み上(以下略)
一度聴いてみて下さい。民族音楽は結構流行ってくれることを期待しています。
クラブミュージックが好きなあなたもちょっと待った。
を是非視聴してみてください。民族音楽とクラブミュージックがここまで合うのか。
これが、無料?べぇええええい!ってなります。
同人恐るべしです。
とまぁ簡単ではありましたが紹介させて頂きました。
全部落としても無料!やばい!
無料公開に踏み切った各作者様には感謝してもしきれないです。
テキストサイト作りの作業用にも、作業以外でも十分聴き応えばっちりですので、色々捗らせてください!
最後の方に出てきたbandcamp、こいつは流行る!と個人的に思っているので、
そのうちbandcampでオススメのやつも紹介していきたいなーとか思っています。
Web拍手でこういう系の曲聴きたい!とか送ってくれれば探しておくので是非ご利用ください。
6月16日 覗き窓
テキストサイトで文章を読んでそのテキストサイトが好きになった時
結局はそのテキストサイトが好きというよりも、そのテキストサイトの作者が好きなのだと思う。
テキストサイトで公開されている文章は良くも悪くも人に見せることを意識していて、
そういった文章からは「私はこう思うんだ」というような価値観というか、考え方のようなものを感じ取ることができる。
人の考え方を知ることが出来た時、それがその人を知ることにつながり、それが信頼につながったりする。
だから、テキストサイトの文章を書いている時に意識していることは、
それは本当に自分がそう思って書いているのか、ということ。
私を反映している文章を書いていきたいです。はい。
6月15日 明日からは違う世界を
丁度今日で盛りそば食べ放題(まくり)アイランドを開設して1週間です。
たかが1週間やったぐらいで、と思うかもしれませんが、今のところ始めて良かったです。
何が良かったかっていうと、一番変わったのは
普段からテキストサイトのネタを探していて、暇が無い、ということ。
今までだと、電車を待っているホームでボーっとしていたり、3DSのすれ違い通信をしていたり、
隣の少年のジャンプをこっそり覗いて、クロスマネジ今回も最下位近くか、とがっくりしていたり、
そんな時間が、「テキストサイトのネタになりそうなものは無いか」という目で世界を見渡せるようになりました。
今まで話半分で受け流していた友達の話を興味を持って聞けるようになったり、
本を読みながら、「どうレビューしようか」なんて考えることができたり、
簡単に言うと、好奇心旺盛な人になれます。結構簡単に。
これって結構すごいことで、それこそテキストサイトを始めるまでと始めてからでは
違う世界を眺めているようです。
まぁかなり誇張表現をしているといえばしていますが、結構楽しいのは事実です。
もしも、ここまで読んでくれた人でテキストサイト作ってみようかな、と思っている人が居たら
とりあえず作ってみると良いかもしれません。
Vipperの皆さんは温かく迎えてくれますし、毎日が今日よりはそれなりに楽しくなります。
まぁそんなこんなですが、これからも盛りソバ食べまくりアイランドをよろしくお願いします。
6月14日 考える時間が不足しています。
世の中にスマートフォンを初めとした小型の便利な電子機器普及してからというもの、
電車の中を見渡してみれば70%程度は電子機器を触っており、
20%は寝ており、9.99%ぐらいは連れと話しており、
0.01%ぐらいは電車の中の人を(テキストサイトのネタの為)観察している。(※当社調べ)
スマートフォンでやっている人の5割はパズドラ(スマホのゲーム)かモバマス(貢ぐゲーム)か
Twitter(呟くサービス)かニュースサイトをブラウザで見ていたりする。
これらは全てネットに繋がっていて、
ネット環境からは無尽蔵の情報がどんどん頭の中に流れこんでくる。
スマートフォンが出て来る以前は、家で頭のなかに流れてきた無尽蔵の情報について
電車の中でボーっとしている時間に考えたり、そうじゃなくてもトイレの中や寝る前に考えたり
とにかく何もできない時間があったからその時間に色々考えることができた。
けれども、スマートフォンがあればそんな隙間の時間を全て埋めてくれたりして、
何かを考えたりする時間が無いよなぁって思う。
スマートフォン自体は悪くないけど、使い方について考えないと
それこそスマートフォンで手に入れた多くの情報を有効活用できなかったりしそうだなってなんとなく考えていた。
たまには何もせずに適当に熟考する時間を設けてみると面白いかもしれません。
6月13日 人類は直感に勝てない。直感的にそう思った。
微妙に記事の内容を修正しました。指摘してくれた誰かに多大な感謝を。
直感っていうと、なんとなくだけど正しいとおもわれるアレです。
私が好きなお話に「モンティ・ホール・パラドックス」なるものがあって、紹介。
……紹介したいんですが、このお話説明するの難しすぎワロタwwww
って感じなんで、文章での表現の限界にも挑戦しつつ、参考までにWikipediaのリンクを先に張っておきます。
文章読んでいてわっかんねーってなった人はWikipediaをまず見てみてください。
最初にずらっと書くと結構簡単に見える。
3つの箱があります。
その箱の中の一つに「当たり」が入っています。
自由に箱を選んで下さい。
選びましたか?おっと、まだ開けないでくださいね。
そうですね、この箱はハズレです。(そう言って「あなたが選んだ箱では無い箱」を開ける)
さぁ、残りの箱は2つとなりましたが、ここであなたは選択肢を変えることができます。
おっと、ここで本題ですが、最初の箱を選んだままで、当たりをひく確率はいくらでしょう?
1/2?そうですか。あなたは直感に従って生きていますね。素晴らしい。
え?1/3?あなたは天才ですね。モンティーホールパラドックスとは無縁の人間なので、明日の日記をお楽しみに。
この文章で何やっているかわかった人は直感的に1/2じゃないのかな、と思ってくれたハズです。
まぁ伝わっていない
と、まぁ意味不明になったような気がするし、図解せずに文章で説明するのクソ難しいですね。
えっと、箱が3つありまして、そのうち一つは当たり。ここまでは多分誰でも理解しているはずです。
で、次が重要です。
第三者が「あなたが選んだ箱」以外で、かつ「当たりでは無い」、つまり「ハズレの箱」を開きます。
そうなると現状蓋が閉まっている箱は2つで、そのどちらかに当たりが入っています。
ここで、あなたは選択を変更できます。
最初に選んだ箱を変えて、もう一つの箱に変えてもいいし、最初に選んだ箱を選択したままでも良い。
さて、選択を変えるかどうかで当たりを選ぶ確率は変わる?
「ああ、どちらを選んでも確率は1/2だ。」
そう考えるのが人間です。なんせ、世界中の数学者が1/2と主張した訳なんですから。
まぁ数学者VS世界一のIQの人のお話は置いておいて、1/2では無くなることの解説。
この問題で重要なのは、途中で出てきた箱を開ける第三者の条件。
その第三者は「当たりを開けず」に、かつ「あなたが選んだ箱以外を選び」ます。
この条件を踏まえて、数学の場合分けです。懐かしいですね。
場合1:あなたが最初に選んだ箱がハズレの場合
もしもあなたが最初にハズレの箱を選んでいた場合、第三者が選ぶ箱はあなたが選んでおらず、
かつ当たりでない箱。これはもうひとつしかありませんね。その箱はハズレです。
すると状況は
最初に選んだ箱(ハズレ)と、
誰も選んでいない箱(当たり)と、
(もう開いている、第三者が選んだ箱(ハズレ))
と、なりまして、つまり最初に選んだ箱ではない、もう一つの箱が当たりであることがわかります。
選択を変更すれば当たりになりますね。
場合2:あなたが最初に選んだ箱が当たりの場合
もしもあなたが最初に当たりの箱を選んでいた場合、第三者が選ぶ箱はあなたが選んでいない2つの箱のどちらかです。
ぶっちゃけどちらでもいいので、適当に第三者があなたが選んでいない箱を開けます。
すると状況は
最初に選んだ箱(当たり)と、
誰も選んでいない箱(ハズレ)と、
(もう開いている、第三者が選んだ箱(ハズレ))
と、なりまして、つまり最初に選んだ箱ではない、もう一つの箱を選ぶとハズレることがわかります。
さて、では最後に選択を変えるか、そのまま最初に選んだ箱にするかで、
「選択を変えずに当たる」場合は「場合2」ですね。
ここで、場合2の条件をみてみると、「最初に選んだ箱が当たり」の場合です。
つまり、「3つの箱から1つの当たりの箱を選ぶ確率」な訳です。
まぁ1/3ですよね。
逆に「選択を帰れば当たる」場合は「場合1」で、その条件は「最初に選んだ箱がハズレ」
3つの箱からハズレの箱を選ぶ確率は、3つのうち2つがハズレの箱ですから、2/3ですね。
ということで、合点していただけましたでしょうか?
3つの箱があります。
その箱の中の一つに「当たり」が入っています。
自由に箱を選んで下さい。
選びましたか?おっと、まだ開けないでくださいね。
そうですね、この箱はハズレです。(そう言って「あなたが選んだ箱では無い箱」を開ける)
さぁ、残りの箱は2つとなりましたが、ここであなたは選択肢を変えることができます。
選択肢変えます?
おっと、ここで本題ですが、選択を変えると確率は変わりますか?
そのままだと1/3?拙い説明でもなんとか理解して頂けたようで、何よりです。
1/2?スミマセン。流石にこの文章じゃわかりませんよね。
大丈夫、最終兵器を用意してあります。
こちらのリンクの先の説明をお受け下さい。
実感してくれていたら嬉しいんですが、説明を受けて理解した後でも、なんとなく1/2の気がしません?
頭では理解しているけれど、直感的に1/2気がする。
世界の数学者はこんな説明を受けてもなお1/2だと主張する人も居たりして、
いかに人間の持つ「直感」の影響が大きいかが伺えます。
人間は直感に勝てないんだよ~っていう話と、
文章での説明のわかりやすさの限界への挑戦と、
モンティ・ホール・パラドックスというちょっとした小話の紹介でした。
6月12日 E3
E3ってご存知ですか?
Electronic Entertainment Expo(エレクトロニック エンターテイメント エキスポ)とは米国のロサンゼルスで開催される世界最大のコンピューターゲーム関連の見本市である。略称「E3(イースリー)」。
Wikipediaより
まぁここでSONY(つまりPS4)とMicrosoft(つまりXboxONE)の発表があったのはなんとなくニュース等で目にしているかも。
これに対抗してE3に参加していない任天堂はNintendo Directという、
まぁ自社の新作発表会みたいなのをしてスマブラ新作が話題となっています
今となってはロックマンよりもWiiFitトレーナーが参戦のほうが衝撃的で、任天堂恐るべしという感じはします。
今回E3を見ていてなんとなく感じたことをだらだらーと書いていきます。
とりあえず任天堂はWii Uから逃げるつもりは無く、あくまでWii Uで行くようです。
個人的に驚きだったのはSONYが意外と学んでいるというか、世間の批評を元に修正してきた所でしょうか。
もはやMicrosoftに喧嘩を売るような「中古、オフラインOK」。
???って人に簡単に説明すると、Microsoftの新作のXboxONEではオンラインに接続していないとゲームができない仕組みで
オンラインでゲームソフトを認証しているため中古販売も無理なんですね。
ソレに対するSONYの答えが
SONYの戦略としては事前にVitaをたくさん売っておいて、
「Vita持ってるしPS4も買おうかなー」と思わせる戦略だったんでしょうが、
あまりにもVitaが売れなさすぎて柔軟になったのか、いずれにしろ良いことです。
Vitaを持っている人は知っているかもしれませんが、
PSPの改造事情(つまりCFW、わからない人はPSP CFWでググってね)により
中古だとか改造にすごく厳しく当たっていたSONYがこの方向転換をしたことは意外です。
本体デザインも中々カッコいいし、何よりXboxONEより安い点で、予想していたより健闘しそうな感じです。
(PS3は399ドル。日本で発売されるとなると、大体3万9800円。XboxONEは499ドル = 大体4.8000円 )
つまり発表までSONYどうしようもないなーって思ってたってことですなんですが。
それに対するWiiUは100ドル高いだけあって本体のスペックも充実しています。
一番のポイントはなんといってもKinect。本体付属カメラでプレイヤーの動きを感知して色々できるやつです。
最近だとDance Evolutionで有名になってきた感じはします。
それに加えて音声認識システム。IphoneのSiri等、音声での操作が普及している中、これは中々良いかも。
発表で実演していた音声認識の精度は中々のものでした。日本語版がどうなるのか気になる所です。
実はこれらの本体機能の発表はE3の前に発表されていて、今回はソフトの発表が主でした。
HaloやForza、バトルフィールド4と充実のラインナップでしたが、今回発表された中で個人的に
タイタンフォールが一番おもしろそうでした。
見た感じは重装備の兵士が戦争する、よくあるFPSだったんですが、途中から登場する人が搭載するメカが
もう、第9地区のアレそっくりです!第9地区のファンとしてはたまらん。
それに加えて、重装備の兵士の動きが素早い。壁を走ったり高いジャンプをしたり……
QuakeやWarsow等、スポーツ系FPSが好きな私としてはたまりませんね。
とりあえずゲームプレイデモをペタリ
よく見たらミサイルの挙動まで第9地区そっくり。第9地区まだ見ていない人はオススメ……はできませんが、機会があれば是非
最後にBF4のトレーラーを。
これ以上グラフィック強化してどうすんの?と思う気持ちもありますが、やはり実際に見せつけられると興奮せざるを得ません。
任天堂やKinectのような体感型へ進むも、画質とスペックを上げていくのも、はたまた風の旅ビトのような雰囲気ゲーであったりと
少しずつゲームは多様化しながら発展してきました。ゲームの文化はまだまだ浅いです。
ファミコンが発売されたのは1983年であることを考えるとゲーム文化の若さに対して、技術面がとんでもないスピードで発展してきた
のがよくわかります。故に開発費が値上がりする一方、販売価格は抑えなければならない問題があったりします。
これからゲームが進化し続けることはできるのか。ソーシャルゲームであったり、家庭用ゲーム機じゃなくてPCで良いのではないか
と、色々な問題点があります。
それでも、人が人を楽しませる為に、あるいは何かを伝えるために作られたゲームの進化をこの目で見られるなんて
良い時代に生まれてきたものだと思います。
ということで、みんなでゲーム分野にお金を放り込みましょう!
6月11日 我思う故に我あり
この言葉を残したのは哲学者のデカルトです。
デカルトは数学者だったのですが、哲学の分野にも数学の考え方を持ち込もうとします。
数学の考え方とは、最初に絶対的な命題を決め、そこから論理的に正しいとされる基礎的な命題=定理を求めていく、
といった考え方で、例えば「三角形の内角の和は180度」というのは定理として習ったと思いますが、
その定理も最初の「絶対的な命題」を元に導き出したものなんです。
話を戻して、その数学的な考え方を用いるにはまず、「絶対的な命題」を導く必要があります。
この時にデカルトはこの世のあらゆるものを徹底的に疑った。この方法を懐疑法と言ったりしますが、
とにかく疑って疑って疑いまくった。今自分が見ている風景や思考や自分の経験まで全て疑った。
言うなれば「今の私はPCによって5分前に作られた人格で、世界も全て5分前に創られたものかもしれない」
と考えてしまえばもう何も信じることができません。
そうして、疑い抜いた末、遂に疑い切れない「絶対的な命題」を見つけることに成功したのです。
たとえ、この世界が夢であろうと、5分前に作られたものであったとしても、今この瞬間に疑っている自分が存在することは疑えない
作られた人格で作られた記憶で思考していようが、そう思考している私が存在するのは間違い無い。
といったことを「我思う故に我あり」と表現した訳です。
ただ、前からずっと思っていたのですが、「我あり」ということを証明するための根拠に「我」を持ってきて良いのでしょうか
我が存在することを説明する前に「我思う」って言っちゃってるじゃないですか。
まぁ絶対的命題ですから別にそこに深く突っ込む必要は無いんでしょうけど、少なくともそこに疑いの目を持つことはできます。
先ほどのユークリッド幾何学の話ですが、ユークリッド幾何学には5つの絶対的な命題、これを5つの公準というのですが、
そのうちの5番目の公準を「絶対的な命題ではない」とみなす、つまり公準では無いと考え、それを元に4つの公準で
定理を導き出していく学問があり、それを非ユークリッド幾何学と呼んだりして……。
私達の思考って論理的な正しさが無いと納得できない場合があってが多いので、大抵の場合は論理的に物事を考えます。
だけど、その論理的に考えを進める根拠になっている「絶対的な命題」を疑ってみると、新しい価値観に触れることができるかもねー。
みたいなことをXBOXONEの発表を見ながら書いてたこんな時間ですよ。FORZA楽しそう。
6月10日 バトン:好きなゲーム音楽
こんなお題で回すと書くことありすぎて困っちゃいますね。
普段書く時は一度推敲して、無駄な文章削るスタイルなんですが、今日は何も削らずgddgと長文にしたい思います。
大好きなものを語る時はなんというかgdgd書きたいんです許せ。
音楽を文章で伝えるのは限界があるので、ふーん、って思いながら少し気になったらグーグルで検索するなりしてもらえればこちらとしても助かる。
ゼノギアスのサントラ、並びにアレンジサントラの「Creid」、「MYTH」を初めに紹介します。
一番好きって言っても過言では無いのですが、中でも「おらが村が世界一」「夢の卵の孵るところ」「飛翔」「ダジル」
「風が呼ぶ、蒼穹のシェバト」「海と炎の絆」「憧憬」「やさしいかぜがうたう」などはパッと出てきます。
ゼノギアスは戦闘曲である「紅蓮の騎士」や「死の舞踏」もカッコイイんですが、それよりも村の曲である
「おらが村が世界一」や「ダジル」と言った民族色が強い曲のほうが好きですね。癒されるというか聴いていて飽きない!
光田さんにまた民族色強い曲作って欲しいです。
で、ゼノギアスの民族アレンジサントラがCreidなんですが、その中でも「BALTO」という曲がかなり好みです。
バルトというのは劇中のクーデターを起こされた王子のキャラクターでなんですが、その彼の生まれた街であり、
後に治める街であるアヴェという街のBGMと彼の持つ潜砂艦(砂漠の中を進む潜水艦)であるユグドラシルのBGMであり、
彼の持ち曲である「海と炎の絆」という曲を混ぜて作った曲なんですよコレ。
前半の落ち着いた感じから後半の盛り上がりがハンパじゃなく良いですね。盛りそば食べるよりCreid買いましょう。
オーケストラアレンジアルバムであるMYTHの中だと「風が呼ぶ、蒼穹のシェバト」というBGMのアレンジが好みで、
シェバトというのはラピュタのような空中に浮かぶ島を治める国の名前なんですが、そのシェバトの首都であるアウラ・エーベイルで
流れるBGMです。昔の戦争の疵痕が残っていたりして哀愁漂う中に、空中都市の神秘的な空気を感じさせる音楽なのですが
オーケストラアレンジでもその神秘的さというか透明感を失わずに壮大な感じを出してきて、オーケストレーションに挑戦し始めた
光田さんの底力を見せつけられたような思いです。なんか音楽の紹介って書いてて恥ずかし(ry
他には浜渦さんの音楽が好きです。
今最も有名なのはFF13の「閃光」でしょう。閃光ももちろん好きなことながら、アンリミテッドサガの「旅の七人」や、
シグマ・ハーモニクスの『希望与えし「戌吠の神楽」』『光り誘う「鐵牛の神楽」』あたりのカッコよさとか見るに
これからも名曲を書いてくれる予感がします。そういやFF13-ライトニングリターンズの曲も中々よかったですよね。
更にはなるけみちこさん。
ワイルドアームズシリーズの音楽はもちろんのことながら、スマブラXの「ドキドキたるめいろ」のアレンジや
ノーラと刻の工房の「まいにちの暮らし」「a little visitor」「草の上に寝転んで」あたりの曲も好きです。
なるけ節と口笛パートはいつ聴いても良い。M3という同人音楽即売会のイベントでなるけさんが同人CDを作っているので
それも興味があるなら調べてみるとよいかもしれません。良かったです。
グループ単位で紹介するにはあまりにも惜しい感じの作曲陣を持つベイシスケイプレコーズの作品でいうと
やはり最近では「朧村正」のサントラでしょう。和風ゲーム音楽だと大神よりはるかに良いと勝手に思っています
あくまで和「風」で、現代的なクラブミュージックの要素とか等も絡ませつつ、聴き応えがあって何度聴いても飽きない上に
音楽としての印象やメロディーもしっかりした曲を作ってくるのがすごいですよね。実際に和楽器で演奏した変奏ノ巻もオススメ
朧村正の制作が同じヴァニラウェアが作ったグランナイツヒストリーのサントラも良いです。
朧村正が和風ならば、グランナイツヒストリーは洋風というか、中世の騎士が居る世界観を見事に表現した曲が詰まっている感じで
戦闘曲がたまらなく良いです。重厚な曲が多いのですが、聴いていて疲れないのも不思議です。
同じ中世でもグランナイツヒストリーは騎士であったり街であったり戦争であったりをテーマにした曲が多いですが、
オーディンスフィアのサントラはファンタジーというか、
魔法であったり森であったり冒険であったりをテーマにした曲が多いのでこちらもオススメ。
ベイシスケイプレコーズは良い曲作りすぎて紹介するのが大変ですね……。
例えばゲームのほうも申し分無い出来であるオプーナのサントラであったり、タクティクスオウガのサントラであったり、
戦場のヴァルキュリアのサントラであったり、はたまた怒首領蜂のサントラであったり、虫姫さまのサントラであったり……。
ベイシスケイプレコーズは是非チェックして欲しいですね。
次に紹介するのはノイジークロークとか。
PSPの「勇者のくせになまいきだ。」
通称ゆうなまシリーズのBGMで私はファンになったのですが、ノイジークロークは可愛らしい音というか
ゆうなまシリーズでいうと裏で激しく鳴ってるマリンバとシロフォンの音であったりが好きです。
100万トンのバラバラだとかゆうなまは愉快な感じの音楽が多いですが、
ポケモンダンジョンだとか無限回廊だとかタイムトラベラーズだとかのサントラになると繊細な表現をしてくるのも素敵な所です。
任天堂関連の音楽の話をするとサントラが発売されていないのが辛くなる
星のカービィシリーズは音楽はザ・打ち込み音楽として有名ですが、私は「バタービルディング」や氷ステージの曲が大体好きです。
カービィのエアライドのサントラと毛糸のカービィのサントラはガン待ちしていますよホント。「シティトライアル」懐かしい。
ゼルダの伝説シリーズも全部好きなのですが、風のタクトは中でも秀逸だと思います。サントラも出てますし!!ヤッター!!
MOTHERも良いですよね。
MOTHERの曲はゲームをやってこその良さなのかもしれないな、と思いますが、ゲームの雰囲気とも相まって和めます。
後はくるくるくるりんの「さいごのくに」とかは想い出の曲ですね。くるくるくるりん新作マダカナー……。
ポケモンも外せませんね。最近だとカラクサタウンが特に好み。ルビー・サファイアのVS四天王や初代のジムリーダー戦も好きです。
シオンタウン、ポケモンタワー、ハナダの洞窟、ポケモン屋敷、トキワの森と言った少し怖いBGMもすごく良いです。
カエルの為に鐘は鳴るの「王子の冒険」、ヨッシーアイランドの「アスレチック」、ルイージマンションの「Dark Rooms」
スーパーマリオRPGの「キノコの森にご用心」、スーパーマリオギャラクシーの「エッグプラネット」、どうぶつの森の「午前二時」
トマトアドベンチャーの「空飛ぶベイベー」、大乱闘!スマッシュブラザーズDXの「メニュー2」……挙げだしたらキリが無い!
ちなみに最近だと新パルテナの「初期化爆弾の恐怖」がPRESS STARTで好きになりました。
そもそもゲーム音楽自体語りきれません。私の文章力じゃどうも伝えきれないので、
ちょっと検索してみたりして聴いてくれると嬉しいです。
ここで音ゲー曲とか。
もうベタベタですけどEvansはとっても好きです。よしくん流石。
音ゲーやるのが怖い?大丈夫、俺がついて(ry
人間の友だち居ないクリスピーさんの曲も大体好きですし、ゼクトバッハさんの曲も良いです。
「ニエンテ」(曲名はneu)で有名なwacさんの『ピアノ協奏曲第1番「蠍火」』も良かった!
koskさんの「sigsig」とか「smooooch・∀・」とか、クラブミュージック系も好みで、
サントラへの出費がやばいことになっているのはお察し下さい。
まぁ曲を見ているとわかるヒトはわかると思いますが最初はpop'n musicとビートマニア、弐寺プレイヤーだったんですが、
最近はSDVX(つい先日2になった)にハマってまして……
その中ですと、やはり黒魔さんが熱い。
「Space Diver Tama」「大宇宙ステージ」「Goodbye-bye Planet」とchiptuneやばいですね。
ボカロPの八王【粛清されました】の別名義のP*Lightさんの「TRIGGER★HAPPY」やginkihaさんの「EGG」、削除さんの「Raptate」
DJ YOSHITAKAへの愛が溢れる、t+pazoliteさんの「Daily Lunch Special」、と同人界隈からの参加が多いのが素晴らしい。
まぁ音ゲー曲は語りだすとそれだけでやばいことになるのでとりあえずここらで無理やり終わらせます。
同人といえば東方の曲もそれなりには聴きます。
ベタベタですが、「亡き王女の為のセプテット」あたりが好き。
「東の国の眠らない夜」、「蓬莱伝説」、「魔法十字軍の行進」、「広有射怪鳥事」あたりも好きです。
アレンジも好きですね。オーライフジャパンの民族調アレンジから、flap+frogさんのオシャレ系アレンジ迄。
ししまいブラザーズさんのピアノ系のアレンジや、Minimum electric designのポストロック系も好きです。
最近だとDivrese SystemのthE.4.5がかなり良かったのでオススメ。
誰だゲーム音楽とかいうお題くれたのは……。どこで切ればいいのかわからんw
次はちょっとレトロゲームのBGMの話でも。
源平討魔伝のファンでして、VS義経の音楽、VS弁慶の音楽、だじゃれの国の音楽と全て好きです。
後にリッジレーサーVに収録された「SAMURAI ROCKET」等ももちろん好み。
ドラゴンクエストシリーズももちろんやってますし、ドラクエIIIの音楽とかね。そして伝説へ。
ドラクエIVだとミネア、マーニャ編の音楽が大体好きです。
ファイナルファンタジーIIの「反乱軍のテーマ」とか……。
パロディウスだ!のクラシックのチープなアレンジだとか、ストIIのオープニング曲とか……
ロマサガの「四魔貴族戦」や世界一おいしい下水道のBGMだとか、サガフロIIの「Rosenkranz」、「Variation」
ウオオオオオオ……。語りつくせん。
逆転裁判1の逆転時のテーマだとか、ゴーストトリックの「CHEST」、「ソノ死ヨリ4分マエ」だとか、
世界樹シリーズの音楽だとか、ソーマブリンガーの音楽だとか……
洋ゲーだとfallout3やportalやSkylimや天国の塔やFEZのBGMが好きです。
天国の塔はググればでてくるフラッシュゲーなので是非ググりましょう。クリアまで15分程度。
他にもまだまだあるんですが、そろそろ長すぎて……というかここまで読んでくれる人が居るのかも疑問ですし
もはや巻きすぎて曲名の羅列になっているので、(無理やり)切り上げます。
ただ、一つ言えることはゲーム音楽やばいってことです。
ゲーム音楽なんて……って思っている人は是非一度聴いてみてください。
そういやこれバトンでしたね。
それじゃあ……なりっぱなしさんに、バトンを投げつけます。
お題は「影響を受けたモノ・ヒト」です。人生レベルの影響から朝起きた時の習慣レベルの小さな物までなんでもござれ。
もしも嫌だったら誰かにパスしてくださいね。追尾機能がついてるのでパスしないとにげきれません。多分。
6月9日 方向性
好きな音楽なんて紹介しておる場合では無いです。
このテキストサイトの方向性についてのお話をまず初めにすべきですかね。
テキストサイト、とはいうものの、正直TumblrやWordPress等で十分だと思っています。
豊富でハイクオリティのテーマや管理しやすいタグ機能等、毎日文章を書くにはあちらのほうが適しているハズ。
なので、どちらかと言うとこのサイトは文章よりもホームページ作る勉強の意味合いが強いです。
それ以外には匿名性というか、少し閉鎖的な感じなのが特徴だと思っているので、まぁ匿名性と閉鎖的な感じは重視します
なのでTwitterやらの直接的な連絡手段を設ける予定はありませんし、連絡手段が用意されても必ず返信しません。
またアクセスカウンターやらも設置しません。
誰かが見てくれている、ということさえわかればモチベ上がるので、モチベーションが下がるまでこのまま行くかもしれません
かといって、自己満足で終わるのも嫌なんですよね。中庸の善って言ったのはアリストテレスでしたっけ?
「自分が楽しめる範囲でこのサイトを見てくださる人も楽しめる」感じを目指しています。
もちろんのことながら反応があれば嬉しいですし、直接の返信は無くても喜んでいるので
適度に餌を投げ入れてくれると有り難いです
6月9日 音楽
ゼノギアスというRPGのBGMがきっかけで音楽にハマった私は今でもインストを中心に聴いています
音楽を文字に表せたら相当やばいんでしょうが、私は到底ムリなんで好きなアーティストでも貼り付るので、
私の好きな音楽を察して下さい。作成二日目から早速手を抜いていくスタイル。
jizue / SUN
音楽ジャンルで言うとポストロック?
カッコイイですね。食べ物に例えると信州信濃の新蕎麦でしょう。
sasakure.UK / 万有ヱレキテル
音楽ジャンルは……わからん。
カッコイイですね。食べ物に例えると讃岐蕎麦でしょう。
撲殺少女工房 / The World Is Yours
音楽ジャンルはchiptuneとかchipcoreとかなんとか
カッコイイですね。食べ物に例えると田舎蕎麦でしょう。
Leahy & Chieftains / B Minor
音楽ジャンルはアイリッシュとか民族音楽とか。
カッコイイですね。食物に例えると月見蕎麦でしょう。
まぁこんな感じです。
このように音楽紹介の記事を書けば更新が簡単にできますね!
6月8日 盛りソバ食べまくりアイランド
この世のどこかに盛りそば食べまくれる夢の様なアイランドがあるらしい。
それを聞いた以来、わしは生涯をそのアイランドの情報収集に費やし、何度もその島を目指して旅に出た。
だが、その努力も虚しく、わしはついにその島に辿りつくことは無かった。
しかしながら、わしはまだその夢を諦めた訳では無い。
そうじゃ、お主らにわしの知っている限りのことを話そう。
そう、
『盛りソバ食べまくりアイランド』についてのな……。